「親父がね、家はおれたちがいるけん、おまえは会社の復旧、頑張ってこいって。そういってくれたことが、大きかった」
4月16日の熊本地震の夜から、4月25日まで会社に10泊11日。 みんなのために、泊まり込みで復旧にあたっていた一人、峯田。
震源地の益城町に自宅があり、両親と住んでいる。
「正直、あの時(本震)は死んだ!って思った。連続してドンって、下からの突き上げなのか下に落ちていくのかわからなくて。少し揺れが収まってから、急いで両親に声をかけ外に出たんだよね。」
「日が昇って、幸い家も無事でした。親父たちと一緒に片づけをして。夕方、まだ余震も続いていたから家では寝れないなと思って、休むために車まで行ったんだけど、14日の前震の時に、家の壁とか倒壊して、道が通れなくなっていたから、自分の車だけ離れたところにとめていたもんで、そこに1台だけポツンって。」
「こわい。やばいと思った。ここにいたら一人だ。
ここにいるなら、会社に行こう。社長から会社に避難してもいいよってメッセージもきていたし、社長一人じゃ避難してきた人の対応も大変だろうしって。その時は手伝いと、自分の精神の安定を求めてきたっていうのが正直なところかな。」
「ヒルトップ(再春館製薬所 本社)に避難してきている社員やその家族の人たちもいたけど、どうしていいかわからない状態で。それで、みんながストレスなく過ごせるように、自分たちが動こうって社長と話して。
両親にも、来ればっていったんだけど、家が心配だから家に残る、家はおれたちがいるけん、お前は会社の復旧頑張ってこいって。親父、自衛隊だったんで普賢岳のときや阪神淡路大震災のときも行っているんですよ。
それで、結果10泊(笑)」
「4月25日にね、ほとんどの社員も出社できるようになって、家に住めなくなった社員や家族にも寮とか手配できて、一区切りがついた。
周りからね、『ありがとう』っていっぱい声をかけてもらったけど、そうすることで自分もバランスを取っていたわけだし。
何より、ぼくたちの会社ですもん。それに、環境があったからできたんだよね。親父の一声が大きかった。
まずは動ける人が、頑張る。そして次は、動けなかった人も、動いていかないといけない。そう思うよ。」
益城の人間だからこそ、頑張りたい。これからの復興にも力を尽くしていきたい。
そういって頑張る峯田です。
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